わかるとか、わからないではなく


先日、骨董屋の方と
世間話をしていたら、
とある方を評して
「あの方は、お花はわかりませんから」
と仰いました。

何か、引っ掛かります。

花が、わかる?

その「花がわからない」と一刀両断された方は
何十万円とか
何百万円とかで売買される作品を生み出す
ゲイジュツカです。
わたしも「素敵だなぁ」と個展を拝見しています。

たとえば、花が器に入っていると仮定します。

それがどんなにきれいでステキでも、
花自体に興味がなくて
その素敵さに価値を見出さないということなのか。

それとも、アーティストとしてのセンスは抜群なのだけど
花に関してはアンテナが動かないということなのか。

いずれにせよ
それ以前に
花をわかるとか
わからないという言葉で評することに
違和感を感じます。

見ている人の
心の「目」で感じる何かを
その花が有しているかどうか。

見ている人の記憶の奥底に
その花と共鳴する何かがあるかどうか
ではないかと思うのです。

もちろん型に「嵌め」て
花を「材料」にして
人の作為をみせるような花ならば、
その手跡が眼にあたるかと思うのですが、
そういう花の良さが分からないという場合は
「わからない」わけではなく
むしろ何かを「わかって」います。

目の前の花に
何かを感じる、何にも感じない。

もしくは、
何かを見ている。
または、
何も見えていない。

小林秀雄が代表作「無常といふ事」の中で
「美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない。」
と書いていますが、
花をわかる、わからないで判断するということは
「花」の美しさを論じるようなことに近いのではないかと
思ってみたりします。


20160527_n.jpg


花: 黄金葉雪の下 日向黄連 紫苑 糸薄 
器: 粉引皮鯨茶碗






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2 Comments

潤子  

久しぶりに良い書物と出会ったように、
初めから読み進めています。
うふふ、楽しい!

ところでこのお花も投げ入れなのですか。
剣山無しでこのように生けられるものなのですか。

2018/07/19 (Thu) 08:27 | EDIT | REPLY |   

えるて  

Re: タイトルなし


なにか「心が通じた!」
みたいな嬉しさが湧いてきました。
ありがとうございます

> ところでこのお花も投げ入れなのですか。

ジャンル分けをするならば
なげいれ、です。

何かの型にはめて入れてはいないのが
一番の理由、でしょうか。

> 剣山無しでこのように生けられるものなのですか。

こういう平茶碗なので
足元がありありと見えてしまいます。

とは言っても
さすがに何も頼るものがないと
植物は立ち上がることができません。

なので、
透明で吸盤のついている
プラスチック剣山を
底に忍ばせてあります。

剣山を使う際に肝心なのは、
植物を針に突き刺すのではなく
針を頼りとして
ちょっとはさむ、とか
わずかに寄り掛かる とか
刺すにしても
姿が硬くならないようにする、
ことでしょうか。

人と同じで
植物もなるべく自由でいたいと思うのです。

2018/07/19 (Thu) 09:32 | EDIT | REPLY |   

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