「好き」の理由 その2


1000人に1000通りの人生があるように、
1000本の花には1000本の花の
咲きざまがあります。

けれどもしも
管理され、
均質化されることを
求められているならば、
人も花もその範疇外です。

野放図な花の
何が、人の心をとらえるのでしょうか。

ススキの末枯れている姿に
何を感じ、何を思うのでしょうか。


モダンにも通ずる
デザインとしての美なのか。

それとも生命の終焉近くの、
やり直そうと思っても
もう戻ることなどできない、
取り繕いの出来ないところまで来た
ありのままの凄みのような姿なのか。

手に取る人が何を思うかによって、
ススキはただの素材にもなり、
人の思いを投影された何かにもなり、
自然の中に潜む神の憑代にもなります。

それ故私は、
晩秋のススキの
見事な枯れっぷりに圧倒され、
野放図な庭や
山の奥深くで出会う山野草が
個性豊かに咲いているさまを見付けると
時には励まされるような気持ちになるのだと思います。


人は勝手なものなので、
時には「綺麗」ぐらいの挿花で丁度良いと思い、
時には花に
人の心の深い所にひそむ何かを思い起こされ、
愛おしくも思い、
共感すらしているのかもしれません。

そのような時は、
(大げさかに聞こえるかもしれませんが)
宗教や哲学に求める
精神のようなものを
花に見ているのだと思います。

ある種のアミニズムだと思います。



20160513.jpg



花: ひるがお 唐金おがたま 小判草
器: 竹籠


続きます


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