切るということ


ずっとお花を習ってきました、
という方は
花を切る際、ためらうことが少ないように見えます。
切ることに、慣れていらっしゃる。

わたしは、いまだ
ためらってばかりです。
だって、切ってしまったら
二度と元には戻りません。

切ることを見定める力は、
繰り返し繰り返し丁寧に草花を見てゆくことで
養われるのでしょう。
そうすれば、いつか「切るべきところで切れる力」が
得られるのではないかと思っております。


しかしながら、
「切らなければならないのですか?
そのまま自然に咲いているのを
慈しめば良いではないですか」
と問われたこともあります。

なげいれの花をいれることは、楽しみです。
楽しみのために命を断つことは
罪悪でしょうか。

命をつなぐための
食料としての殺生であれば
罪悪の度合いは減るのでしょうか。

プランクトンをエビが食べ、
小海老をいわしが食べ、
イワシの群れをクジラが飲み込む。

食物連鎖は罪悪で満ちているのでしょうか。

そういう意味では、
人は、植物も動物も
他の命を頂かなければ生きてはゆけない
原罪を抱えていると思います。

花を切ることへの問いは
わたしにとっては余りにも難しく、
今も答えを見出すことは出来ていません。

ただ、切らなければ出会うことのない
「美」があるのは、事実です。
自然の中で埋もれている美しさは、
切ることによって出現することが叶います。

人が、長寿を全うすることだけが
良き事とは必ずしもいえないように、
自然にあった時よりも
より一層輝いて見えるように
花を生かすことが出来るなら
草花を成仏させられているのでは、と
合掌するような思いで
向き合うこの頃です。


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花: クロバナエンジュ テンナンショウ ミヤコワスレ 
器: 竹籠

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