なげいれの花 考察


なげいれの花を入れる時、
気にかけていることがあるとすれば
自分の「我」とか「エゴイズム」のようなものとの
対峙のように思います。

草木を採取してきた時点で
「これが素敵」
「この角度こそが見所」と
自分という眼鏡を通して振り分け手折るわけですから、
そこに既に
その人の「意志」が投影されています。

それが各人のオリジナリティの源ですので
大切ではありますが、
「わたしはこうしたい」という部分を
可能な限り抑え、
器や植物の良さを生かすことだけに執心しない限り、
いけ終えた花には
人の気配や手跡が色濃く残ります。 

そうなると
花を見ても
いけた人の自己主張ばかりが目立ち、
うるさくて見ていられない事が多いのです。

とはいえども、
どんなに消そうとしても
完全に自我を捨て去ることはできません。
人は、心のないロボットにはなれない。

同時に、想いがないところには
花も入りません。

こうしたい!というエゴを抑え、
上手く入れたい!という欲を抑えて、
わずかに残る輝きのようなそれを
人は憧れを込めて
「個性」と呼ぶのかもしれません。


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花: 石菖 蕗
器: 室町時代 亜字型華瓶


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