改元にあたり


ミッションという言葉は
狭義ではキリスト教の学校を表します。

例えば聖心という学校は
フランスに設立された女子修道会の
「聖心会」を母体としたカソリックの学校で、
美智子上皇后の母校としても知られています。

聖心の出身者には
緒方貞子、須賀敦子、辰巳芳子各氏がおられ、
社会的には全く違うジャンルに属する彼女達に
根底がなにか、同じ源流に繋がっているように感じるのは、
あながち勘違いではないように思うのです。

それを宗教心と一言で現すには
日本人の感覚としては少しずれがあるようにも感じ、
彼女達の学んだまだ戦後の色の濃く残っていた頃を
聖心の良き時代と言う人もいるように
そこには時代と宗教を通して
自分を見つめ、
人類が培ってきた思想哲学を学ぶ雰囲気が
存在したのではないかと想像しています。

ミッションスクールは
宗教的な伝道を目的として設立された学校ですが
「ミッション」という言葉の源はもっと深く
「神から与えられた使命」にあります。

随分と大仰に聞こえるかも知れませんが
宗教というと胡散臭く思える際は
キリスト教という宗教の枠を外し、
目に見えない偉大な何かを
「神」と捉えてみた時、
一人一人の人間には、実は
神さまから与えられた
「ミッション」があるのではないかと
ふと想像することがあるのです。

寂しさや孤独感を感じる時。
不安感に再悩まされる時。

つまり個人的な悲しみを感じる時
ふと、そこに立ってみる。
あなたの、私のミッション。
生きる意味、使命は何であるかと自分に問うた時
個人的な悩みは
一瞬スッと引く思いがするのです。


改元を迎え
天皇制を語る時、
個人の自由や平等を問う方々がいます。
生まれながらの血の貴賎、
身分制度だと批判する人もいます。

それらの意見を持つ人々の大元に
たとえばこの「ミッション」という言葉が示すような
哲学的な感覚があれば
また少し違った広がりが出るのではないかと
感じることも多いのです。

皆、なにがしかの運命の元に生まれます。
決して幸せとは言えない星の元に生まれる人も、
長い人生の間に悲しい事件に出会ってしまう人もいます。

個人個人のそれらは
どんなに軽く見えようとも
決して他者が批判たり理解し得るものではありません。
その人固有の苦しみや悲しみを測る
絶対的な尺度などないからです。
しかし極論としては
徹底的に怒り、悲しんだ後は
それらを飲み込み、受け入れることでしか
乗り越えてゆけはしないのだろうとも思います。

同時に、「ミッション」という思想は
個人的な問題を超えたところにあり、
もしかすると
各人がそれを見つめることで
日々の生活に過ごしてゆきやすさが生まれるのではないかと思うのです。

話は飛びますが、
とある能楽師の方が
お孫さんがごく幼い頃から
お稽古を付けていらっしゃいました。
それを見た人に
「将来その子に能楽師になって欲しいですか?」
と問いかけられた際、
「なって欲しい、ではない。
必ずなると思って稽古をしているのです」
と仰っていたという記事が印象に残っています。
問いかけた人はあっけにとられたようですが、
それは問いかけた人の内側に
そういう発想がないからなのでしょう。

個人の自由という意味では
その子供が大人になって
職業は選択をすれば良いではないか、
まだ小さいのだから
友達と遊ぶ時間の方が大事だ、
など諸々意見があるでしょう。

もちろん多くの、殆どの人にとっては
とても大切な「自由」であり、選択肢なのです。
特に「個」を尊重する現代においては
そこを外しては立ち行かない
死活問題だったりもします。

けれども同時に
それらは全て「わたくしごと」に属する問題で、
神から与えられた「ミッション」については
考察されていないだろうとも思うのです。

数少ない伝統芸能保持者の跡取りという
ミッションを背負って生まれた幼な子に、
出来ればなって欲しい、程度の思いでは
稽古を付けてはゆけないのでしょうし
実際成れないのだろうと感じました。

このことは、現代においては
その子が将来
どういう道を選ぶのかということと
問題を同じくしてはいないようにも思います。

ましてや天皇家の方は「公(おおやけ)」という重責を背負って御生まれになっています。

象徴天皇と言われはしても
天皇にとって最も重大な役目は祭祀です。
「政」という字をを「まつりごと」とも読むように、
国民、そして世界中の人々が飢えることなく幸せであるように
自分の世を安寧たらしめるためには
神を祀ることを全身全霊で行うのが
天子たる天皇の一番のお役目です。

全国民の安泰を祈ることが天皇の使命。

ふと振り返って想像してみると、
人であれば誰にだって
好き嫌いがあります。

今まで学校や職場やご近所に
苦手だと思う人がいなかった人など
皆無ではないかと思うのです。

それらの人々のことまでも含めて
「隣人を愛せよ」という言葉を思い出すと
その困難は容易に想像できますし、
全国民の幸せを祈る…となると
目が回ってしまいそうです。

そういう星の元に産まれたことは
一般の我々には図り知りれない
幾多の問いや悩みがあるに違いありません。
しかしそこにとらわれては
お役も全うできないでしょう。

個人を超えるとは
なんと大変な事で、
成し遂げ難いことだからこそ
畏敬の念も湧くのだと思います。

美智子上皇后のお姿を拝見していると、
ミッションという感覚が
培われていたことで
ラクチンではなかったであろう道のりも
過ごしていかれたのではないか、とも思うのです。

同時に、上皇陛下の退位へのご意向は
歳をとったからそろそろ辞めたいのだろう、とか
余生を自由にゆっくりと過ごしたいのだろう、
などという個的な感で
メディアでは捉える向きが多かったように感じました。
そのたびに
自分の中にない感覚、考えには
人は及べないのだと、軽く絶望的な思いがしたものです。

これはあくまでわたくしの想像ですが、
象徴としての国事行為を全うできない状態になりつつあると己が身を判断し、
それ故に退きたい、と仰った決心の中には
陛下の個人的な希望や意向や
ましてや幸せ探求などあるはずもなく、
それがおおやけと言うものです。

逆に、個の幸せと平等を追求する
現代の果ては
どのような世界だろうな、と思います。

あなたのミッションは
そして私のミッションはなんでしょうか。

お菓子を作ることかもしれない。
子供を育てることかもしれない。
学問を追求することかもしれない。
人に何かを教えることかもしれない。
お金を稼ぐことかもしれない。
土から器を作ることかもしれない。
優れたものを世に広めることかもしれない。
家族を大事にすることかもしれない。
自分を見つめ続けることかもしれない。
受け入れがたい事実を飲み込んで
同じく辛い思いをする人の気持ちを察し
慰めることかもしれない。
自分で自分の面倒を見ることかもしれない。

それに気付けば
案外事はスムーズに運ぶのかもしれません。

本当の自由は自分の内側にあるのですから。


20190510

花:八幡草 都忘れ 姫卯木
器:谷口嘉 ガラス花器



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2 Comments

☆バーソ☆  

こんにちは~♪

いや、心に沁みる、いいお話でした。
私はメソジスト系の大学を出て、
キリスト教の異端教団に長く所属して伝道に励み、
いまは精神世界に傾倒しているのですが、
自分の過去の人生を振り返ってみたときに、
恥ずかしいことや失敗も多く、悔やむことも多いのですが、
しかし結果的に言えばそれが自分の生きるべき道だったのだろう
と今は思うようになりました。
ただ、私の場合は、天から与えられたミッションというよりは、
自分で選んで自分に課したミッションだろうと思っていますが。

15年以上前になりますが、美智子妃殿下を乗せた黒い乗用車が
原宿の通りを走っているときに、秋の寒空でしたが、窓を半分空けて
中腰姿勢で沿道に手を振っておられるのを目撃したことがあります。
車も2台か3台くらいで、お忍びのような感じでしたので、
沿道のほとんどの人が気付かなかっただろうと思うのですが、
それでもずっとあの表情で手を振っておられるのを見て、
天皇家はちょっと出かけるのも大変なことなのだなあと
非常に感動し、尊敬の念が増えたものです。

天皇家のミッションは国民の幸せを願う祭司ですから、
他国の王と違って、公の仕事が大変というよりも、
国民にとってはじつに有難いことだと思うべきなのでしょう。

私たちのミッションは、
> >受け入れがたい事実を飲み込んで
> 同じく辛い思いをする人の気持ちを察し
> 慰めることかもしれない。
> 自分で自分の面倒を見ることかもしれない。
ほんと。そうですね。
自分のミッションをもっとよく考えれば、
もっと有意義に生きようと思えてくるような気がします。
今の日々は貴重なものだなあともっと感謝するような気もします。

2019/05/11 (Sat) 10:54 | EDIT | REPLY |   

えるて  

バーソさま

わぁ!
バーソさま、お久しぶりです ^_^
なんだか長文になってしまったのですが、
ご高覧ありがとうございました。


私、思うのですけれど
パーソ様の内側には
しっかりとした自我と強さが
おありなのではないかと。
だから、自ら課せるのではないでしょうか?
自分で決めたことに従ってゆくのは
出来そうで
なかなか簡単にはゆかない、
難しい事だと思います。

2019/05/12 (Sun) 15:04 | EDIT | REPLY |   

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