窃盗


先日友人からメールが届きました。

今月の軽井沢新聞に
上越新幹線側道沿いのコスモスを
5本取ったところを警察官に見られた結果
窃盗で署に連れていかれ、
2時間取調べを受け、
写真、指紋を強要された女性の話が掲載されていたとのこと。

「摘み草」といえない空気があるのでしょうか。
人目をはばかりながら、摘む…?

彼女のこの一文に、どきん、としました。
私も彼女も
沿道のコスモスを摘むことはないけれど、
自分の土地以外の雑草や野草を摘むことは
茶飯事だからです。

人目をはばかりながら
花を摘む。

なんだかそうなると
花摘みが
なげいれの花の精神とは真反対の
遠い所にいってしまうように思われてなりません。

自分の土地に生えているもの以外は
ぺんぺん草一本たりとも
断りもなく摘むことは
「悪」なのか、と問われれば
現代の法の下では
犯罪とされる事もあるでしょう。

しかし、
利益を生むために栽培されている作物や、
保護されている植物や、
絶滅が危惧される植物を根こそぎ掘るなど、
明らかに良心が呵責しない限り
正直私には
摘み草は「悪」だとは感じられません。
たとえば、
お正月の七草粥の素材を
スーパーで買ったことなどありません。

ある時、道路際に沢山ホウチャクソウが生えていたそうで
それを摘んで
人に見とがめられた知人がいます。
そんなことがあってしょげていた翌日のこと、
道路整備の業者が
同じ場所を草刈り機で一切合切刈ってしまい
あんなやり方をしていたら
山野草は絶えてしまう。
何が善で、何が悪なのか!と
知人は憤慨していました。

ルールにのっとるとは
最大公約数を前提にしているため
不条理も飲み込まねばならないことが
往々にしてあることの良い例のように思います。

そんな事を口にすると
生真面目な向きの方からは
犯罪者扱いにされることも
あるかもしれません。

そのあたりの感覚の境目は
人によって随分と違うなぁと
いろいろな方のお話を聞いていると感じます。

しかしながら、
この軽井沢での「コスモス事件」は
果たして花摘みそのものが
問題ではなかったのではないか、とも思いました。

注意された人が小心な方で、
思わず逃げてしまい
追跡された結果連行されてしまった、とか。

警察官が器量が狭い居丈高な物言いをしてので、
カチンときた
心情そのままの口調で返事をしたので
その結果お互いが喧嘩腰になったため、とか。

何度も何度も同じ場所で
コスモスを切っているのが
見受けられていた人で通報があったとか。

コスモス5本が、
5輪ではなくて
実はバッサリと5本だとか。

そういう行間の事情がないのだとしたら、
警察への連行と、2時間の取り調べと、指紋と写真が
いくらなんでも大げさ過ぎて
腑に落ちない感じがします。

指紋や顔写真と聞くと
慎ましやかに日々の生活を送っている者には
ショッキングではありますが、
「善」に分類されない際の
警察のお定まりの
ルーチンワークなのかもしれません。

気になったので、webで探索したところ、
該当の記事を見つけました。

https://www.karuizawa.co.jp/newspaper/special/2018/11/5.php

読んでみて、
正直コスモスは
表面にある指標のようなもので
本当の論点は違うところにあるように思います。
そして、こういう言い争いのようなことが起こった際
片側に法的権力があることを
とても恐ろしく感じます。

警察に限ったことではありませんが、
なんらかの権力を持つ者が
その時の心情や気分を
きちんとコントロール出来ないのは
職務である場合
適正としては致命的ではないでしょうか。


数年前、山中湖近くで
花を摘んでいて捕まった方がいると
聞いたことがあります。
あの辺りは国立公園で
山野草も多いため
盗掘する人が多いのと、
道路整備で草を一気に刈られてしまうから
去年咲いていたトリカブトが
全く無くなったという事も
あるようです。

国立公園などという場所ではなくとも
根を痛めることなく
上の方を遠慮深く少し頂いている人も、
盗掘する人も、
はたから見れば同じでしょう。
李下に冠を正さずとは言いますが、
悩ましいことこの上ないです。

自然の恵みは
陽の光から始まり
数え切れません。
様々な人がいるので
法で縛る以外ないのでしょうが、
各人の心を養うことでしか
本当の意味での環境保護も
人にも自然にも優しい善悪の共通意識も
得られないのではないかと思います。


20181101.jpg


花: 大葉馬の鈴草 晒菜升麻 野葡萄
器: 逢源斎作 竹一重切


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