花野の季節


秋野尓 咲有花乎 指折 可伎數者 七種花

秋の野に 咲きたる花を 指(および)折り かき数ふれば ななくさの花
万葉集 山上憶良


こうして見てみると、
万葉集に用いられている「万葉仮名」は、
中国語を記すために発明された「漢字」を
日本語に転用した
いわば借り物なので、
ある種のパズルのようだなぁと思います。

例えば「八十一」を「くく」と読んだり
「嗚呼」で「あ」、「三五月」で「もちづき」と読むなど
謎掛けのようなものもあります。

万葉集が成立した時代にはおそらく
この万葉文字を使う人達の間で
読み書きの約束事があったに違いないのですが、
それが後の世迄伝わっていないため
いまだに解読の難しい歌もあります。

万葉集に先立って
「懐風藻」という日本最古の漢詩集も編纂されており、
ざっくりと言うと、
懐風藻は宮廷や僧侶などまつりごとに近い人々によるもので
万葉集はもっと広い身分の人達によって成り立っています。
なので万葉集にも懐風藻にも
歌を選ばれている人がいます。

この二つがどのような目的で
誰に向けて編纂されたものかを想像すると
その当時の日本の片鱗が見えてくる思いが致しますが、
漢詩だけでは表現しきれず
漢字を日本語に転用してまでも
どうしても表したかった日本人独特の何かが
万葉集に表れているのではないかと思います。

では何が日本人独特の心情か、となると
たとえば今の季節だと
秋の紅葉への心持ちではないでしょうか。

四季のはっきりとした場所では
世界中の至るところで
紅葉は見ることができるわけですが、
いわゆる「紅葉狩り」のような言葉と感覚は
日本以外ではあまり見受けられないのだそうです。
秋に紅葉を見に旅行はしないの?と聞くと
"I love autumn color.. But I've never heard that someone traveled to see autumn leaves. "
と言います。
紅葉を「秋の色」と言われると
なんか、それだけではないんだよなぁと言いたくなる気持ちが
沸いて参ります。

そういえば
NYのウッドベリーコモンへ向かった際、
セブンレイクスドライブとい
ハドソン渓谷の湖畔地帯では
見事な紅葉であったにもかかわらず
人影は殆どなかった事を思い出しました。
地面も黄金色、
降り注ぐ光も
風が吹けば舞い散る葉っぱも黄金色という
一面夢のような場所があり、
あまりの素晴らしさに車を停めてもらいました。
子供にかえったかのように
大興奮して葉っぱを拾い
家族でひとときを過ごしたのですが、
私達以外には
犬の散歩にわずかに人が通っただけで
紅葉を愛でに来ている人はいませんでした。
これが日本だったら、
どれだけの人が押し寄せていることだろう…
と想像する程なのに、
わざわざ紅葉を見に来ている人が
見受けられなかったのです。

秋の紅葉を愛でる感覚は
日本人の精神性を最もよくあらわしている、と
外国の方が評しているのをどこかで拝読し、
なるほどなぁと
その時のことを思い出したことです。

台風になぎ倒されたススキに来し方を思い、
虫食い葉にあわれを感じ、
秋のさまざまな草花に細やかな感情を寄せる歌は
万葉集以降にも沢山見られますが、
漢詩には表せなかった「やまとごころ」は
まさにこうした感覚なのではないか、と
花野の季節の到来を感じ、
思う次第です。


20180906.jpg

花: 秋の千草 
器: 唐物写脛当手付花籠 竹良斎

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