山深いところで育ちましたので
海はもう、
見るだけで嬉しいのです。

紺碧に晴れ渡って凪いだ海だけでなく、
風が強く白波が立ち帽子が飛ばされそうな日も
小雨降る鈍色の海も
広々とした海というだけで見入ってしまいます。

太宰治の「海」という短いエッセイには
子供の頃に初めて海を見た感動から始まることが
綴られています。

戦火の元
三鷹の家は焼かれ、
その後疎開した妻の実家の甲府の家も焼かれ、
いつ死ぬともわからない中で
幼い娘に
一度でも海を見せてやることができれば…と思っていた
甲府から実家の津軽に向かう3昼夜目のこと。
東能代から五能線に乗り
見え始めた日本海に興奮し、
あれが海なのだと娘に伝える太宰に対し
当の娘は非常にも
あれは川だと言い
妻も寝ぼけて興味を示してくれません。

これを読みつつ
ほとほと太宰に同情してしまいました。
人の興味の在りようは
各人それぞれであるにもかかわらず、
近しい人であればあるほど
共感を得たい、
一緒に感動を味わいたいという欲求が
湧くのが道理だからです。

「実につまらない思いで、私ひとり、黄昏たそがれの海を眺める。」

エッセイはこの一文で〆られています。
太宰、哀れなり。

先月、白神山地を訪れた際
五能線に沿う道沿いに
太宰の見た日本海を眺めました。
美しい海原に
いつものように心が躍り、
雨雲が追いかけて来る前に
海の空気を胸いっぱい吸い込むと、
こんな素敵な風景でも
興味の無い人は、無いのだよなぁ…
などとウミネコを目で追いつつ思ったことです。


20180720.jpg

花: 烏柄杓
器: 南方の貝

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