干る


古い寺院建築が好きです。

法隆寺や室生寺でしみじみ時間を過ごした後、
江戸期に建立されたお寺に行くと
木材を見て「あぁ江戸の物だ」、
施された彫刻を見ても「あぁ江戸だ」と感じます。
その前の時代の物と比べると
質感が徹底的に異なるからです。

お寺の歴史は古くても、
長年の間に火災などにあって
建物は新しいことも良くあることです。

木材に関しては、
考えてみれば当然のことで、
良質の木材を得ようとしたら
何百年、いや1000年を越える樹齢の木が必要で、
一旦根こそぎ切り倒してしまったら
その木が育ったと同じだけの
長い時間を待たなければならないのです。

それがどういうことなのか
はたと考えてみて、
はじめてそれが
大変なことなのだとわかりました。

奈良の東大寺の大仏の鋳造以降、
基本的に仏像は木を彫刻して作られることが多くなったのは
手軽さや時代の流行りなのかと
漠然と思っていたところ、
大仏鋳造のため
当時の技術で精錬できる銅を使いつくし
枯渇した結果だと知った時は
衝撃を受けました。

鎌倉の大仏は
国産の銅ではなく、
中国の銅貨幣を大量に輸入して作ったそうです。

日本の銅も木も、同じことでした。

奈良の薬師寺の西塔の昭和の再建の際、
日本には樹齢1000年以上の木材がないので
西岡棟梁は台湾まで桧を求めにいらしたそうです。

でもその台湾の桧とて
切ってしまえばまた1000年待たねばなりません。

1000年です。
今から1000年前と言えば
藤原道長が摂政だったころで、
はるか、はるか昔のことです。

伊勢神宮の式年遷宮には
樹齢数百年程の1万本近くの桧が必要だそうで、
紀伊の原木が枯渇した江戸期からは
長野や岐阜に神宮備林として
専用の山が用意されているそうで、
その山のことを御杣山と言います。
杣(そま)という字は
古代から中世にかけて
都や寺社用の大規模建築の際の
木材を調達するために用意された山林や、
そこから切り出された木材のことを言います。

宮材引く泉の杣に立つ民のやむ時もなく恋ひわたるかも  万葉集

7世紀以降は貴族や寺社が
杣山を持っていたようです。

今はもう台湾も
制限を掛けているそうで、
使えばなくなるのは
当たり前のことです。

そして、そのことと
出来上がった物の素晴らしさとは関係がなく、
材が自然にあった時とは違うステージにいて
一概に比べて物を言うことは
難しいんじゃないかと感じます。

ただ、そのようなことを通して
人というのは
基本的に
自分の生命の帰結するまでのスパンでしか
物事を考えられないものなのではないか、と思うのです。

この木材や銅のこと、しかり。
原発のこと、しかり。
国の借金のこと、しかり。
先々のことまで考えているようで、
慮り切れるものではないのではないか、と。

自分達は元来そういう性質なのだということを
頭の隅に置いて謙虚でいれば、
いろんな事柄がもっと
聡明に進むのではないかと思うのです。


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花: 天人草 赤水引 嫁菜 犬蓼
器: 炭斗籠

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