個性をいかすこと その1


花を入れる際に
「個性を大事に」と言うと
その人の個性を
花のいけ方に反映することのように
思われるかもしれません。

しかし、それはちょっと違います。
花合わせや
器と花の合わせ方に
既にその人の個性は反映されているので
器に花を留めていく際には
「無私」が正しい姿勢です。
人の思惑はいりません。
エゴイズムは徹底的に排除すべきです。

具体的にはどういうことかというと、
「植物の個性」をしっかり見極めて
それを最大限いかすことに全力を傾けて
自分の思い付きや
こんなふうに入れたい、という
クリエイティブな工夫や欲求を
抹殺する、ということです。

つまり、
いわゆる「イケバナの作品」をつくることは
「この花をこういけたい」という自分の欲求や
クリエイティブな独自の発想や工夫を
表現したものだとすると、
なげいれの花を器に入れる行為は
その真反対なのです。

この一本の花が、美しい。
その美しい花の
一番きれいにみえる角度を探す。
自分がこう見せたい!は、いらない。
その一番美しいと感じる角度に
無理なく器に留めるために、
花を留める技術を身に付ける。

呆れる程どこまでも「花本位」なのです。

そういうふうにして入った花は
ずっと見ていても
疲れませんし、飽きません。

それに反して
「作品」となった花は
じっと見ていると
そこに表れている自我が
ウルサく人工的に感じられ、
長く見ていられません。

花の姿に
何かが立ち上がって現れるのだと思います。

201807013.jpg


花: 三つ葉木通 笹 河原撫子
器: 仏製金彩デキャンタ(春海商店別誂)

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2 Comments

潤子  

えるてさま

お花もさる事ながら、
連なる文や言葉も美しく、
今日の文で、
私がなげいれのお花が好きな理由がわかった気がしました。

2018/07/14 (Sat) 13:19 | EDIT | REPLY |   

えるて  

潤子 さま

こんにちわ ^_^

気持ちの良い何かが
お心に届きましたら
嬉しく存じます。

かつて、花を見て
稲妻に打たれたようになったことがあります。
それが
なげいれの手法で入れられた花でした。
花というより、
枯れた蓮の実が10本ほど
筒状の器に入れられただけのものでしたが、
世の中に何か
絶対的な本質というものがあるのならば
そこにつながっているのは
これだ…と感じたのを
昨日のことのように思い出します。


2018/07/14 (Sat) 14:57 | EDIT | REPLY |   

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