物の価値


先日骨董屋を訪れた際に目にした
伝来物の根来塗りの日の丸盆は、
素晴らしい逸品でした。

何百年もの間
所有してきた人が愛で
大切に扱われててきた気配を
ゆったりと纏っている、とでも言いましょうか。

漆の禿げっぷりといい、
そこはかとない艶といい、
好事家の方々の心を鷲掴みにすること間違いなく、
とはいえども
うるし塗りの木製の丸盆一枚が
安いBMWが新車で買える程の
気安く手出しの出来ないお値段でもありました。

物の値段というのは本当に、
明確に何かを表しているよなぁと
しみじみ思います。


美術館で見るだけに飽き足らず
骨董屋を覗き始めた頃は
品物の値段が
自分の生活感覚と余りにもかけ離れていて、
驚いてばかりいたのを思い出します。
日々の生活の中において
日常の食材を買うことが基本の金銭感覚である私には
当たり前と言えば当たり前のことでした。

わからないなりに
物をじっと見比べる癖がつくと、
端的に言えば
あれよりこちらの方が良いから値段も高い、
欲しい人が多いから値段が高い、
元の持ち主や来歴がしっかりしていて
偽物である可能性が低い、
などなどのシンプルな理由が組み合わさって
価格というものがつけられていることがわかるようになりました。
全て物という物の値段は、
相対的に決まっているのだと思います。

前述のお盆にしたところで、
あれは仏教寺院で使われるための盆として
製作者もそれを心して作り、
納められた後は
長い間実用品として
大切に僧侶達が使ってきた
その心の有り様が盆の姿に表出していて、
それを美しいと感じた寺の外部の人間が買取り、
これまた大切に大切に
時として眺めたりさすったり茶道具にしたりして
今の今まで残されて来て、
その雰囲気が格別に良いから
人の心を打つのです。

なおかつ折敷のような四角い物ならば比較的流通が多いところ
丸型の日の丸盆という数の少なめな品であり、
その上縁の高さが低いため
使い道の汎用性の高さからもついている値段なのです。

今は、自分の生活感覚や購買能力などの
金銭感覚とは離れたところで数字を見るので
「なるほどなぁ」とも
「仕方がないよなぁ」とも
落ち着いた気持ちで見るようになりました。


わけがわからなくても
謙虚に、真面目に、じっと見る。
どう感じるか、自分の内側に聞いてみる。
気になったことは書き留める、調べる。

それだけの繰り返しです。
それが、人の中に
目には見えないけれども
その人なりの目盛を刻んでゆき、
目を育たせ
いざという時の判断を助けてくれるのだと思います。


今から20年も前、
渡米前にワインを教えていたことがあるのですが、
ワインのテイスティングも同じことでした。

有名で高価なワインだと知ると途端に
もうそれだけで、
プロであろうと
人の味覚は脳に支配されます。
美味しいに違いない、という思い込みが
産まれるのです。

目の前のワインが
安かろうと高かろうと
貴重だろうと古かろうと、
今の自分にはどう感じられるのか。
それが全てなのに、
頭でっかちになると
知識ばかりが先回りして判断してしまうので
味覚は育たないのです。

ワインの味を覚えるためには
必ず数本を同時にブラインドティステイングします。
銘柄や作柄年を隠して香りや味などを試飲することです。
こつこつと真摯にその回数を重ねることで
毎回毎回自分の内側に
ワインに関する目盛が出来て来て
いつの日か、
嫌でも何かがわかるようになってきます。

目盛は着実に刻まれているものの
はっきりと自覚できないことも多いので
わけがわからないと感じる時間は
短くなかったりします。
ローヌ地方ととボルドーの赤の違いがわからないと
ソムリエ試験直前に叫んでいる人も沢山います。
でも突然ある日「あぁそうか」と
ぱあっと目の前が開けたように
閾値に届くことがあるのです。


若い頃は
自分が「わからない初心者」であることが
恥ずかしかった時期もありましたが、
それは
これから沢山のことを経験し
知ることが出来るということの裏返しです。
わからない時にはわからない時なりの、
知らない時には知らない時なりの喜びや楽しみがあると気が付いたのは
自分が初心者ではなくなってからのことでした。

勿体ない事をしたと
ちょぴっと後悔していて、
もしもこれから何かに興味を持って始めることがあれば、
忘れずにいたいことの一つなのです。


20170717.jpg


花: 唐糸草 白花蛍袋 河原撫子 下野 
器: 唐物写脛当手付花籠 竹良斎

 
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