心眼で見る線 ④


次に花の方から見てみます。

花が入ったまま、落としを器から出してみました。

hanasen1.jpg


ガラスビンの中に注目してみて下さい。
何本もの枝がクロスしている場所が見えるかと思います。

意識してここで交わらせているわけではありませんが
花が入り終わった後にこのような形になることは
しばしばあります。
扇でいうところの「かなめ」にあたるのかな、と思います。

花を入れる際、
器にどのように入れていくか算段をする際に、
実はこの「かなめ」の部分がどこになるか
暗黙のうちに決まっているのだと思います。

なげいれの花に限らず
花束を作る際に茎を握りこんだ部分もまた、
「かなめ」と言えます。
その花束を器に放つことを連想してみて下さい。

器に対して前傾した花の場合は
「かなめ」が上の方に来るはずですし
全体的に立ち姿の多い花の場合は
「かなめ」は下の方に来るはずです。

例に挙げている花の場合は、
「かなめ」が落としの中程でした。
しかし、花の量や目指す雰囲気、または広がり具合によっては
「かなめ」は落としや器の背部、
もしくは落としの下、
もしくは器の底よりもずっと下、ということだってあり得ます
(つまり、落としや器の中で、草木は「かなめ」に集約しません)。

枝の暴れ具合にもよりますが
花は、この「かなめ」に想定されるところを中心にして
目には見えない線というか
円錐状の空間を中心として広がっていきます。
枝や茎の暴れ具合によって、
円錐から逸脱することは茶飯事ですが、
足元がややこしくなっていることは
稀だと思います。


以下は、先程の花を横から見たものです。
わかりやすいかと思います。

hanasen2.jpg


花で円錐形…というと
なげいれの花からは外れますが
ラウンドブーケがそれに当たります。
ラウンド型の花束を想像してみて下さい。
右から見ても、左から見ても、
上から見ても、
不自然な形にはなっていないと思います。

私の考えではありますが、
ブーケは地球の形のミニチュアです。
紐で縛ってある「かなめ」の部分は
地球の「核」です。
球体を、核を中心にして切り取ったとしたら
(かなめから下の部分は別として)
ブーケの形になりますよね?

引力の中心は地球の核でしょうから、
地上に生えている植物達も
大きな意味ではブーケみたいなものです。
右から見ても左から見ても
どこから見ても
引力を始めとして
自然の法則の上に外れた物はないので
どのような角度に生えていようとも
根が引力を忘れることはなく、
それゆえ自然界に存在しています。

花をなげいれの手法でいれる際も
その自然の法則を外れると
違和感を感じてしまうのだと思います。

逆に、法則に則っていると
前から見ても横からみても不自然さのない
いわゆる「三方正面」の花になるのではないでしょうか。


引力という大法則の上に、
地上では
地と空の境目を「かなめ」として
おのおのの植物が
根を地の底に向けて、
葉や茎や幹を天に向けて伸ばします。

それゆえ「かなめ」にあたる箇所が
器の口縁に近ければ近い程
器の上に花が乗っかった感がして
器との一体感に欠け、
不自然に見えるのだと思います。
口辺よりもある一定の深さから下にあると
器の中から自然に生えてきたように見えて
自然な雰囲気になりやすいと思います。






花: 藤 馬酔木 松 
器: 大籠


平安時代の貴公子のような花合わせに思えます。

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4 Comments

gingokoro  

小宇宙なんですね。

2017/03/23 (Thu) 20:22 | EDIT | REPLY |   

えるて  

gingokoro さま

こんにちわ ^_^

> 小宇宙なんですね。

小宇宙のようでもあり、
人の体の成り立ちに似てもいて、
花になにを見るかは
本当に人それぞれだなぁと思います。

2017/03/23 (Thu) 23:44 | EDIT | REPLY |   

在嶺結為  

勉強になります♪

こんにちは(*^-^*)/
コメントは初めてさせていただきます。
花の部分だけじゃなくて下まで考えるものなのですね。
私も花を生けますが、そこまで考えたことはありませんでした。
お花の生け方も料理もとても興味深くて勉強になります♪

2017/03/24 (Fri) 19:08 | EDIT | REPLY |   

えるて  

在嶺結為 さま

はじめまして (^_^)



> 花の部分だけじゃなくて下まで考えるものなのですね。

う~む、そうですね…
(しぼし、考察)


端的に言うと、
上記は結果論なのです。


花を入れてみたら、
下はこうなっていることが多いよ、と。

下をこうしようと企んで
こんなふうになっているわけではないのだよ、と。



考えることがあるとすれば
上も下もなくて、
「本質」とはなにかということ、です。

本質を違えていると
隠れてて見えないところは
それは本当に見えないかというと、
実はどこかに現れてしまっていることが多いのです。

ほとんどの人には見えないけれど、
わかる人にはわかってしまうし
見える人には、見えてしまう。

そんなふうなのが、
花器の中の部分だし、
着物の着付けの際に余って折りこんだ生地だったりするし、
料理の下ごしらえや
お部屋の片付け具合や
お針箱の中だっだり、
つまりは
根本的な心の持ち方や心構えの在り方だったりするのだと思います。



少しでもご参考になれば嬉しいです (^_^)

2017/03/27 (Mon) 02:30 | EDIT | REPLY |   

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