小雪 末候:橘始黄(たちばなはじめてきばむ)


季節外れの話題で恐縮ですが、
お雛様を飾る時
ひな壇に向かって右には
 「左近の桜(さこんのさくら)」の木を。
向かって左には 
「右近の橘(うこんのたちばな)」の木を
合わせ置きます。

お雛様の飾りつけの際に
「これは、桜。 
こっちは…みかん?」
などと子供の頃言っていたあれは
橘(たちばな)と呼ばれる柑橘です。

これはお雛様が、
京都御所の紫宸殿を模した作りであることに由来します。
御殿の前には桜と橘の木が植えられていて、
宮中警固を行う左近衛と右近衛が
この2つの木の近くに配陣されていたことから
名付けられたそうです。

hina_suzuki.jpg
本庄・鈴木家の御殿雛


なぜ桜と橘が植えられていたのか
考えを巡らせてみると、
はるか昔より
「邪気払い」などの
魔よけの力があると
信じられていたからではないかと思われます。

そんな、雛飾りにも用いられる橘ですが、
現代の私達の生活にはあまり
馴染みがありません。

橘の花は5月頃咲き、
柑橘独特のすがすがしい香りを
いにしえの人達に愛され
万葉集に70種以上も詠まれてきました。

しかし、橘の実をそのまま生食で頂くには余りに酸っぱくて
今ではマーマレードなどの加工をすることが殆どです。

静岡が栽培北限のせいもあり、
植物園などで植栽でもされていない限り
関東より北の人には目にする機会も少ない樹木です。

その橘(たちばな)ですが、
日本が原産の
唯一の柑橘類だからか
食用になる柑橘類の総称を「たちばな」とも言います。

あれれ、柚子は?
と思い、調べてみたところ
日本が最大の生産&消費国ではあるものの
中国が原産地でした。
温州みかんも、
中国から渡って来た柑橘類の突然変異株だそうで
どちらも日本原産のものではありません。
橘だけが
はっきりと
日本原産とされている柑橘類なのです。

病気やなにやで
致死率の高かった時代において、
健康で長生きをすることは
強い願いだったことでしょう。
そんな中で橘は
松や椿と同じく
冬もあおあおとした葉をつけたままの常緑で、
当時の日本人にとっては
永遠の命を象徴しているかのような
神々しい植物だった上に
あの柑橘のすがすがしい香りゆえ
邪気も払えると思われていたのだと想像しています。

日本書紀によると、
垂仁(すいじん)天皇が
田道間守(たじまのもり)に
非時香菓(ときじくのかくのこのみ)という
「いつも黄金色に輝いて良い香りのする不思議な実」を
常世(とこよ)の国に探しに行かせました。

常世の国は
海の彼方にあるとされていた異世界で、
永久不変や不老不死の理想郷とされていました。
その地の物である非時香菓は
不老不死の象徴である「常世草(とこよぐさ)」の実なのです。

田道間守は
長い時間をかけてその実を探し当て帰朝しましたが、
すでに垂仁天皇は崩御あそばしていました。

その悲しみのあまり
田道間守は殉死してしまったのですが、
人はこの「非時香菓」の木のことを
田道間守花(たじまはな)から転じて
「たちばな」と呼ぶようになったそうです。

今、いろんな柑橘類にあふれた
果物屋さんやスーパーの陳列棚を見ていると
古代の人が橘を珍重した感覚が
肌感覚として理解することは
現代の私達には難しいです。

そういえば
懐石料理など
和食の食後の果物のことを
「水菓子」と言います。

「菓」に「このみ」という読みを当てていることからも推し測られるように
江戸時代になって「菓子」が今のような意味になる前までは
日本人にとって
果物や木の実こそが「菓子」でした。

それゆえ田道間守は
お菓子の神様、菓祖神として
いくつかの神社に祀られています。

古代の日本人にとって
菓子の本懐は
不老長寿にあったのだと思うと、
食べるという事は
医食同源、
命をつなぐことに繋がっていることを
ありありと感じることです。


橘は 実さへ花さへ その葉さへ  枝(え)に霜降れど  いや常葉(とこは)の樹
   万葉集  聖武天皇



20161202.jpg

花: 花柚子 柊
器: 黒田泰蔵


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