小雪 初候:虹蔵不見(にじかくれてみえず)


虹の色の数はいくつですか?と聞かれれば
ほとんどの日本人は7色だ、と答えると思います。


「万有引力の法則」で著名なニュートンは
暗い部屋の中に入って来る一筋の太陽光を
ガラスで出来た三角柱(プリズム)で屈折させる実験をしました。

その実験で、
白く見えていた日光が虹のように何色にも分散され、
実は太陽の白色の光は
世の中のすべての色が混ざっていること、
そして色によって屈折する角度が違うことを確かめたニュートンは、
音階の数(ドレミ~)など
神聖な数字とされていた「7」になぞらえて
「虹は7色だ」と主張しました。

古代ギリシア以来、
ニュートン以前のヨーロッパにおいて
虹は赤・緑・青の3色、
もしくは赤・黄・緑・紫・青の5色だと思われていたそうです。


では、実際に虹は何色に見えるでしょうか。

実際に虹の色数を数えたことのある人は
どれだけいるでしょう。

実際のところ、
虹の色数をどうカウントするかは
とても難しいのです。

何故ならば虹は
空気中に浮遊している細かい水滴が
プリズムの役目を果たして
太陽光を屈折、反射して光が分解された現象で、
「色の変化は連続している」ため、
本来、色の数は、
数えられるものではないからです。

色彩に敏感な人がいて、
虹の中の色の変化を細かく見てとれて、
この虹は100色です、と言ったとしたら
それは間違いではないのです。

そのため、現代においても
各国によって虹の色数はまちまちに言われています。
8色あるというアフリカの部族もいれば、
現代の西洋人は6色以下で答える人が多く、
明暗の2色だけだと言う
インドの部族もあるようです。

つまり、虹の色が何色なのかは、
各国や各民族の
「文化の問題」であって、
科学で絶対的に解明された数値ではないのです。

虹の数なんて
わかっていたようで実は、
教育の成果というか
思い込みというか、
色は連続していて無数にあることはわかっているのに
揺らがない正解として
断定的に決め込んでいた、ということに
軽いショックを覚えました。

自分が無意識のうちに「正しい」と思っていることのうち
はたしてどれほどのことが
この虹の数に見られるような思い込みなのかと思うと
足元が砂上の楼閣のように
心許なく思えます。


花は。

花はどうでしょうか?

わたくしは流派に属する者ではありませんが
自分勝手だけの者に
なりたくはありません。

いつも自然を第一義に、
毎回新しい目で、
器や場の世界観、
花合わせ、
求められている格を忘れずに
思い込みでなく、
花を入れられているか。

そんな自問をすると
寒さも増してきた中
身がきゅっと引き締まります。


20161122.jpg

花: 菊
器: 華籠(散華盆)
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4 Comments

Piyosophy  

こんにちは。毎回どの作品からも良い刺激を頂いております!
自然を第一義にと云う言葉、私のオランダ人の師匠も同じことを話していました。私も、花屋に並ぶものが全てではないと思うので、森や公園へ行っては落ち葉や木の実コケなんかを採集して来るようにしています。そして、自然をよく観察すること。
えるてさんの作品を見ていると、いかに自然を愛し、自然の中でその植物たちがどのように生きているかをご存知なのが見て取れます(^^)

2016/11/25 (Fri) 22:01 | EDIT | REPLY |   

式田香甫  

おはよう御ざいます 自家の奥で静かに祀り供える そんな空気を感じました 

2016/11/26 (Sat) 10:17 | EDIT | REPLY |   

えるて  

Piyosophy  さま


こんにちわ ^_^

ご丁寧に恐れ入ります。

わたくしも常々拝見し
発奮しておりました(笑)

今月の始めに、家族が
メイフェアのホテルに1週間程滞在していたので
Piyosophy さまのブログのことを思い出しつつ、
お買い物指示を出したことです。

花は、和とか洋とか
そういうククリはないな、と感じます。
人工的な「型」には
そこに集約される「人の某か」がついてまわりますが
自然本位に入れていれば
そこには土壌や風土が立ち上がってきますよね。
とは言っても、花を入れる人が
どのような宗教観であるかによっても
随分変わるのだなぁとも思います。
自然は人の支配するべきものである宗教をベースとする民族と
人も自然の一部として寄り添う民族とでは
入れる花も
おのずと変わるでしょうから。

と、つらつら書いてしまいました。

これからもどうぞ宜しく ^_^
寒中ですのでお体ご自愛下さい。

2016/11/27 (Sun) 00:48 | EDIT | REPLY |   

えるて  

式田香甫 さま


こんばんわ ^_^

本当は、
金屏風の前に
塗りの長板でもしつらえて、
その上に
鍍金が鈍く光る華籠と
それに結ばれている組紐を
た~っと放って
紐がぱらりと崩れたさまを愛でられたならば、
京の雅に近づけるのになぁ、
と空想したりしています。

小菊も、
白く粉を吹いたかのようにぽってりとして
芯のまっ黄色な
公家風の物だと、
こういう世界にはもっと映えるはずです。


とは言っても、手元に揃わず。
「みやび」は、
京都の足元にも及ばないです。
とほほ。 >_<

2016/11/27 (Sun) 00:55 | EDIT | REPLY |   

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