頂戴するということ


先日のこと。

大根おろしにジャコが乗ったのが出てきた瞬間
「いのち~!」って思ってしまったのよね、と
知人が言いました。

どういう意味か聞いたところ、
おじゃこの一尾一尾が
一つ一つの命なので
この一口は何十もの命なんだと思うと
ぐっと来てしまって食べたくなくなったのだ、と言うのです。

なるほどなぁ…と思いました。

しかしながら、
たとえばそのおじゃことて
数えきれないほどのプランクトンを食べ
それとて命です。
大根はお野菜で
植物だからとはいえ命があります。
私たちが食べなければ
いずれは花を咲かせ
沢山の種を弾けさせ、次の世代を残すことでしょう。
大根は意思だって持っています。
日光が不十分なところで光が射せば
そちらの方へと伸びてゆき、
土の中に石があれば
それを避けて根を二股に割ることだってある。
それが意志でなくてなんなのでしょう?

他の命を奪わないと生命を繋いでゆけないのは
動物の原罪のようなものだと思います。
けれど、食べることに罪悪感を感じるのは
人間独特の哲学のようなもので、
人間以外の動物は
そのような感情を持ち合わせていないように見えます。
人は、宗教や信条や風土によって
あれを食べてもよい、
これはいけないと決め事をしますが、
いずれにせよ
何らかの命を奪わねば
命は絶えてしまうわけで、
そこに善悪や正誤をつけることに
危ぶみを感じます。

家に続く路地の雑草を抜く時は
無心であるからか、
同じようなことが頭に浮かぶことがあります。

藪になっては困るので
私が抜いてしまう路地の脇に咲く雑草も、
花屋で何万円もする胡蝶蘭も、
ジャコおろしの大根も、
命という意味では同じだからです。
人こそ殺してはいませんが
良寛様のように蚊も蚤も殺さないような人では
私は、ありません。

花を入れている際、
切らないで
咲いているのをただ愛でるだけではだめなのか、と
質問をされたことがあります。
正直少し困ってしまいました。
切ることで凝縮され
初めて現れる美しさがあることは確かです。
花の命を奪わずとも
人は生きてはゆけますが、
自分の今迄を振り返ると
ほんとうに小さな頃から
自然にとどまらず
美しい物には助けられて来たのだなぁと、
しみじみ思うのです。

美味しい物、甘い物も同様です。
辛さをちょっぴり和らげてくれます。
そういえば
食べ物は愛情と良く似ている、と
友人が言っていました。

何も奪わなくて済むならば
それに越したことはありませんが、
人はそのようには作られていないようです。
どんなに頑張ろうと
自分の意志ではどうにもならない
大いなる自然の力のようなものへの
畏怖の心を持っていれば
そんなにおかしな方向に行かずに済むのではないかとも思います。


20170831.jpg


これはパラク・パニールという
ほうれん草と自家製チーズのカレーです。

パラクがほうれん草を表していて、
パニールがインドの硬めのカッテージチーズのことです。
ほうれん草の葉っぱをプロセッサーでピューレにして冷凍しておけば
ささっと簡単に作れて、とっても美味しいです。


ほうれん草 二束
重曹 小さじ1 (使わなくても作れます)
にんにく 2かけ

玉ねぎ 1個

サラダオイル 大さじ2杯
とうがらし 1本
クミンシード(ホール) 小さじ1杯

クミンシードパウダー  小さじ1杯
コリアンダーパウダー 小さじ1杯
ターメリックパウダー 小さじ1/2杯
レッドチリパウダー 小さじ1/4杯
トマトピューレ    大さじ2杯
塩    小さじ1

牛乳 1L
生クリーム100cc(なくても作れます)
レモン1個

1:牛乳と生クリームを耐熱容器に入れ、
レモン汁を絞り入れます
(かきまぜてはいけません)。
電子レンジで熱し、
牛乳が固形物と液体に分離するまで熱します。
ザルにクッキングペーパーか布巾を敷き、
流しいれて水分を抜きます。
(本式には、これをお豆腐のように包み込み
上から重石をし、3時間水を抜きます)

2:玉ねぎをみじん切りにします。
ほうれん草はざく切りにし、
重曹を入れたお湯で1分程茹で、
すぐに水に放って冷たくします(色止めのため)。
一旦水分をしっかり切って、
皮をむいたにんにくと共に
プロセッサーかミキサーで
最低の水分を加えながらとろとろになるまで回します。

マシンがお手元になければ
絞った物をみじん切りにして
すり鉢で摺っても結構です
(むしろこの方が食感はよいです)。

3:お鍋にサラダオイルと唐辛子(種を抜いたもの)、
ホールのクミンシードを入れ、
クミンシードがぱちぱちと音を立て始めるまで熱します。
玉ねぎを入れ、透明感が出るまで炒めます。

4:3にトマトペーストを入れ、
パウダーのスパイス類を入れて混ざるまで炒めます。

5:ほうれん草のピュレと塩を入れて混ぜ、
濃度が濃すぎると思われる場合は適宜水を入れて下さい。
自家製チーズを適当な大きさに切って入れて
出来上がりです。
すぐ食べない場合は、鍋ごと水で冷やし、色止めをしてください。


パニールは冷凍の輸入品が売っていますし、
市販のカッテージチーズでも大丈夫ですが、
自家製のフレッシュなミルキーさが
やはり一番だと思います。
パニールの代わりに
モッツァレラチーズや鶏の胸肉、
ジャガイモなどでも美味しいです。











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4 Comments

ささげくん  

食べることに罪悪感を感じるのは!

>けれど、食べることに罪悪感を感じるのは
 人間独特の哲学のようなもので、
 人間以外の動物は
 そのような感情を持ち合わせていないように見えます。

〇記事拝見しました
 食べることに罪悪感を感じるのは、ですが、この傾向が強いのが日本人の感じがします。
 例えば、中国人ですが、その食べ残しの汚い様子は、食べ物の命を大切にしているとは思えません。
 草々

2017/09/01 (Fri) 08:55 | EDIT | REPLY |   

えるて  

ささげ さま


初めまして ^_^

ちょっと長いお返事で失礼致します。

食べることへの罪悪感について、ですが、
イスラムの豚やヒンドゥーの牛に見られるような宗教の禁食、
ベジタリアンの菜食、
シーシェパードの鯨もさることながら、
これを食べてはいけない、と
自分が勝手にしている分には自由ですが、
それを「正しいこと」として説かれるのは、
私は苦手です。

日本人は、屠ることに
目を背けがちですよね。
わたしも、普段お肉を食べる時に
その動物のことを
全く考えることはありません。

そういう痛みを伴わない姿勢を
ちょっと情けなく思います。

けれど動物は、
淡々と必用だから食べていますよね。
なので、この感情って
なんだろうなーと思うのです。

初めて中国の方々のテーブルを見た際は、
私もショックを受けました。
あまりに驚いたので調べてみたところ、
たとえば日本人のように、
魚の骨など
一度口から出したものをお皿に載せるのは、
彼らにはとても汚いことなのだそうです。
同時に、片付ける人がいる環境では、
お皿の上以外は汚しても良いという認識だそうです。

文化の違いを受け入れることができれば
戦争なぞ起こらないに違いありませんが、
いろんな意味で
本当に難しい事だなぁと感じます。

2017/09/02 (Sat) 00:41 | EDIT | REPLY |   

taller  

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Erte  

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2017/09/02 (Sat) 01:29 | EDIT | REPLY |   

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