知る嬉しさ わかる悲しさ ①


名曲とか名画、名品は
どうして名画で名曲で名品なのか。

その定義ってなんだろうと
考えたことがあります。

結果、私の答は単純でした。
多くの人の心に
とても深い印象を残す、
それゆえ沢山の支持を受ける、
それが「名」とつく理由だと思います。

たとえばモナリザを
世界で一番の名画だと
教科書で教えたとして。

画学生や画壇の関係者ならば兎も角
しみじみと
本物のモナリザを見たことのある人が
はたしてどれだけいるだろう?と思うのです。

ルーブルに行ったところで
モナリザルームはいつも
山手線のラッシュアワーのようで、
カメラを持った人が何重にも取り巻いていて
近寄るまでに随分時間がかかります。
シャッターを切ったら後ろの人に
場所を譲らねばといった雰囲気で、
時折人の波の中で
岩と化して絵と対峙している方もいらっしゃいますが、
ゆっくりと見ようと思ったら
閉館直前にでも行かなければ難しいです。

本物のモナリザを見た人でさえ
そのような状態なのに、
皆、教科書か何かでちらりと目にしただけで
「あぁ、あれがモナリザだ」と記憶している。

これって凄いことだと思うのです。

印象深くなければ、
その絵自体を忘れてしまうでしょう。
現に、美術館に行って
沢山の絵を見て
その中のどれだけの絵を覚えているでしょうか。

オペラに興味がない人でも
コマーシャルのBGMに使われているアリアは
曲名も知らずにメロディーを記憶していたりします。
やはり、印象が強いのです。

ピンのものが放つインパクトの凄さです。


それと同時に、
見る目や聞く耳を訓練しなければ
理解に至れない名画や名曲もあります。
名筆にしたところで同じで、
私は若い頃 
王羲之の書を目の前にして
書聖と言われる程あがめられている理由が
まったくわかりませんでした。

その当時、
「王羲之が世界で一番美しい文字という根拠がわからないのです」
と口に出したところ、年配の方に
「あなた、書と青磁と花がわからないなら
何もわかってないのと同じなのよ。」
と言われて、
ぎょっとしました。

ほんの少しは
わかっているつもりだった
小さな己惚れを
自覚したからです。

「青磁や書がわからないということは
たとえばね、
着物好きになったと言って、大島紬を買ったり
陶磁器が好きと言って、備前を買う人と一緒。
もちろん大島は良い着物だし、
備前にも良いものは沢山あるわ」

まるで、なぞなぞのような言葉だと思いました。

あれから随分時間は経ち、
時々思い出すのです。

印象が強いものに、心は掴まれやすい。
でもそれは
物に現れている深遠な精神性の理解に至ることと
同じとは言えない。

あのなぞなぞの答えがあるとしたら、
そういうことかもしれないな、と
今は思います。


20161006.jpg


花: 葛 鳥兜
器: 竹 寸胴切


続きます


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