霜降 末候:楓蔦黄(もみじつたきばむ)


このあかるさのなかへ 
ひとつの素朴な琴をおけば 
秋の美しさに耐えかねて 
琴はしづかに鳴りいだすだらう 

  「素朴な琴」 八木重吉



都心では
良い気象条件が揃わないと
紅葉に恵まれない年も多いです。
ベランダの芦の葉が紅葉したことは
2度しかなく、
落葉樹の葉っぱが
赤や黄色に変わることなく
気が付くと朽ち葉色に縮まるのも、珍しくありません。

時期もぐっと遅く
極月の声を聞いてから
ということもしばしばです。

そんなふうなので今の時期は
道端の雑草の緑の中に
薄く黄ばんだ山芋の蔓やヨモギを探し、
草むらをかき分けます。

それ故
高速道路の法面に這う蔦が
赤や黄色に紅葉をし始めているのを見ては
郊外はもう紅葉が始まっているのだろう、と
気になっていましたので
温泉ついでに
みなかみの方へ出掛けてみました。

車窓から目にする山々は
まだ黄色味を帯びているとは言い難く、
深緑の木々と藍色の山々を
無言で見ておりましたが、
月夜野インターを降りて
三国街道から猿ヶ京に向かい
山間の道をしばらく入って行くと、
カーブを曲がるたびに
まるで季節が深まってゆくかのように
黄金色の山々と青く澄んだ空が現れ、
山の頂の白樺はもう落葉していて
うっすらと雪をかぶっている山さえあります。

空気の冷たさは既に、冬のものでした。

自宅の庭に咲いている野紺菊と
みなかみで咲いている野紺菊は
同じ種類であるにも関わらず
育つ環境が違うと
ここまで風情が変わるものなのか、と思います。
東京の庭で咲いているものが
しっかり二本足で立っている健康な子だとすると
山の花は
ちょっと爪先立った化粧っ気のない清楚な娘に見えます。
同じ野紺菊なのに、お里は隠せないものです。
人も、同じでしょうか。

暦の上では秋も終わりです。

20161102.jpg



花: 野葡萄 ひよどりじょうご 秋海棠 姫紫苑
器: 中西洋人作  
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