処暑 次候:天地始粛(てんちはじめてさむし)


この2、3日雨模様で涼しい日が続き、
コンクリートとアスファルトに覆われた街でも
数か月ぶりに空調なしで眠れました。

「粛」は静まりかえっているという意味です。
弱まる、納まるという意味もあります。

夏の炎天下のざわめくような暑さに対して
残暑の落ち着き始めた状態を
静かに物音も立てないという意味の字を当て
「さむし」と表現する。
それも、天も地も共に
「はじめて」さむし、なのですから
その季節感がもたらす風景は
静かに雄大です。

これが「ようやく涼し」だったり
「すずしさに至れり」では
往く夏がことりと音を立てて終わる感が出ません。

72候には、時折このように
ぐっと来る表現の暦があります。


庭を眺めると
夏の熱気に焼き尽くされた葉っぱが
昨今の雨に打たれ、
今まさに季節のあわいにいると感じます。

夏の間ご無沙汰していた里山へも
そろそろ足を向けたくなる頃です。

花野の季節の到来です。


20160827.jpg


花: 高砂百合 藤 山芋の蔓
器: 胡銅 尊式華瓶(江戸期)





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4 Comments

☆バーソ☆  

こんばんは~

う~ん、味わいのある文章ですね~。
夏も間もなく終わり、天も、地も、心も鎮まる。
日本語とは、味わいがある言葉ですね。

文語訳聖書の創世記は、
『元始に神天地を創造たまへり』
という言葉で始まりますが、
「天地始粛」ですか。
> これが「ようやく涼し」だったり
> 「すずしさに至れり」では
> 往く夏がことりと音を立てて終わる感が出ません。
なるほど。
ざわめく暑さはことりと音を立てて、
秋の「粛」に場をすうっと譲るのですね。

> 今まさに季節のあわいにいる
「あわい」が分からず、検索しました。
「間」と書くのですね。
「淡い」のニュアンスがあるようにも感じました。

花野の季節の到来ですか。
なんだか秋が待ち遠しいような気になりました。

2016/08/29 (Mon) 22:13 | EDIT | REPLY |   

とっとこ  

No title

いつも当方にお出で頂き有難うございます
季節の花を美しく生けられて、茶室の軸にも似合う様ですね。
毎回楽しみに拝見させて頂いてます。

2016/08/30 (Tue) 05:35 | EDIT | REPLY |   

えるて  

☆バーソ☆ さま


こんにちわ ^_^

古事記では、世界の始めを
「 天地(あめつち)の初發(はじめ)の時」
と記しています。
既に混沌とした世界があって、
神はそこに出現して、
混沌を寄せて固めて日本を作るんですね。

アミニズム的な日本の神と
契約宗教の神との
観念の違いが
気候風土や民族性から来るのだとすれば、
例えば花を愛でるにしても
フラワーアレンジ的に人為を骨格にすることと、
神仏に向かって立てた「たてはな」や
生付(しょうつき)や自然の風情を
水に放つ「なげいれ」とを
比べてみると、
同じ「花を器にいれる」という行為ではあるにしろ
はじめの精神のありようが
全く異なるわけです。

もちろん、今の日本の
流派いけばなとも
この二つは異なります。

私は特定の宗旨や流派に属していないので、
そういうことを
とても興味深く思います。


「あはひ」、そうか、そうですね。
古語の部類の言葉でした。
お手数をお掛けして申し訳ありません >_<

「あわい」は元来「あはひ」と書いたでしょうが、
狭間とも境とも違って、
「間」と漢字で書くのも
気持ちが添わないなぁと思います。

ぴったりくっついているというより
ほんの少しの余白というかクッションがある、
そんな印象を受けます。

混沌を身の内に抱え込める民族のことばだな、と感じます。


明日は久々に多摩の方に出かけるので
どんな秋の花が咲いているか
今から楽しみです。

2016/08/30 (Tue) 17:14 | EDIT | REPLY |   

えるて  

とっとこ さま


こんにちわ

お楽しみ頂ければ幸いです ^_^


そういえば六郷土手で花火大会があること、
存じ上げませんでした。
穴場ですね!

2016/08/30 (Tue) 17:36 | EDIT | REPLY |   

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