小暑 末候:鷹乃学習(たかすなわちがくしゅうす)


目白の南西に位置する
おとめ山公園では、
「東京の名湧水57選」にも選ばれる程
良い水に恵まれていて、
昨日今日と
ほたるの鑑賞会が開かれている旨
教えて頂きました。

乙女の山で蛍なんて
ファンタジーね…等と思っていたら、大間違い。

江戸時代は将軍家の鷹や猪などの狩猟場だったことから
この一帯を立ち入り禁止として
「おとめ山(御留山もしくは御禁止山)」と呼ばれ、
その名残が公園の名前の由来となっているのだそうです。

徳川将軍は、家康をはじめとして
鷹狩のお好きな方が多かったようです。
狩場までの馬での遠出は
運動不足解消に役立ち
健康にも良かったとか。


鷹狩は、古来より
世界各国の狩猟民族に
見られたようで、
日本では古墳時代には既に
鷹狩が行われていた証拠に
鷹匠の埴輪が作られています。
帽子をかぶって
鷹を手に構えた姿が
とても可愛らしいのです。


太田市オクマン山古墳出土埴輪鷹匠

時代が下るにつれ、
支配者階級の娯楽や
権威の象徴に移り変わっていったようで、
天皇家をはじめとする貴族の特権となり、
その後台頭してくる武家にも広がっていったようです。

銃弾のない時代に
矢だけでは捕えられない動物を狩る鷹狩は
王侯貴族の食卓を彩ったでしょうし、
神社では贄鷹儀礼(鷹の狩った動物をお供えとする)に
用いられました。

日本では、
仏教の伝来と共に
神道の贄の献上の思想に対して
仏教の殺生禁止の思想が相対し、
規制と緩和を繰り返したようです。

四つ足の肉食の禁止一つ見てみても、
宗教の輸入とは、
新しい規範や信条を
生活の中に取り入れるということであり、
物の考え方が従来とはひっくり返ることもあるということですから、
いろいろな軋轢が生まれたに違いありません。


それゆえ、
稲作をせず狩猟採取を糧としていた
蝦夷(アイヌ)に対し
鷹狩の規制を強めたため、
反乱が勃発したとの説もあるようです。
坂上田村麻呂は、
そのための征夷大将軍でした。

何故、人の暦に
鷹の子が飛ぶことを覚え、獲物をとらえ
巣立ちを迎える頃が必要なのかな…と
ぼんやり考えていましたが、
つまり暦を作った階級の人達にとって
鷹狩用の鷹の幼鳥が
学びを始めるころというのが
捨て置けない事であった名残りなのでしょう。

現在、野鳥保護法などにより
国産の猛禽類は
基本、飼育が禁じられています。
諏訪などに残る鷹匠の鷹は
輸入されたタカやワシなのです。
                                                                                 
鷹の気持ちなど
計り知れませんし、
動物保護は必要だとも思いますが、
人と鷹が息を合わせて動くそのさまは
乗馬の際の人と馬に似て
息をのむ程美しいだろうと想像しています。


20160717_n.jpg



花: ヤグルマソウ ヤマユリ
器: 李朝天目瓢型瓶写





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