秋分 次候:蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)

どこに植えられているのか姿は見えませんが、ここ数日で金木犀の濃厚な香りが漂い始めました。この香りと出会うともう秋も本番だと感じるのですが、夏が戻ってきたような蒸し暑さの中で密度の高い香りと出会うと少々閉口してしまいます。そんなことを感じつつ庭の角を曲がったら椿の木にもう、早々と花が咲いていてはっとしました。夏の残影の中に冬の入り口を見る思いがしたからです。この椿は「西王母」という名前です。極早咲き...

器の落としについて ②

落としの材質ですが、基本、見えないところに用いるものですのでなんでもよさそうなものですが、思いの他、ちらりと視界に入ります。目に入っても黒子のように「無きが如し物」であって欲しいので、たとえば十文字などの留め木に器や、もしくは入る花の茎と同色の物を選ぶのと同じ様に、落としも器に添わせます。留め木が、器や花の茎と疑似色でなければフローラルテープを巻いてでも色を添わせるのと同じです。以下、落としを選ぶ...

器の落としについて ①

落としについて語るとそれだけで数時間は話せる程隠れた重要な存在で縁の下の力持ちです。落としと器の合っていない場合花の入れ難さは著しいのですがどうもそのことに人は気が付きにくいらしいのです。用意した落としが花を入れ難くい状態であるにもかかわらず、無理やり使っているのを見受けることも実は多いです。そんなふうなので、花を直す際に一番はじめにせねばならないのが落としの位置や高さ、大きさ、ということも少なく...

秋分 初候:雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)

10年ほど前、出光美術館で3つの風神雷神図を並べた展覧会が開催された際のことを思い出しました。おおもとの俵屋宗達。複写した尾形光琳。光琳の物を模写した酒井抱一。光琳も抱一も論ずるまでもなく素晴らしい画家ですが、絵を描く能力は置いておいて、その絵が「その人の身の内から出たオリジナルであるかどうか」ということがもたらす「何某か」に深く感じ入りました。それはもっとも「目」に現れていたように記憶しています。...

ブルーベリータルト

今年の夏はどういうわけかブルーベリーを沢山頂戴しました。今もまだ冷凍庫に3kg以上入っています。ここのところずっと雨続きでしたので、朝茶用のおあまの買い置きが底を尽きてもデパートまで出掛けるのも面倒で、冷蔵庫にあるもので簡単な焼き菓子を作りました。焼きっぱなしのブルーベリータルトです。タルトはパートシュクレという生地を使います。本来お菓子作りは科学の実験に近い正確さを求められますが、それを楽しむ時も...

花留め 十文字④

先回、十文字の花留めに入れる草花の角度に注目してみました。茎だけの動きを見て頂きたいのでイラストにしてみました。十文字は、横から見ると以下の図のような角度で花を入れることができます。ここで注目したいのは、どこが留まりどころになっているか、です。十文字の交点の部分で留まっているのはもちろんですが、しっかり留めたい場合器(落とし)の背面部分も大事です。茎の断面のどこか一部の「点」だけで止まるのと断面全...

白露 末候:玄鳥去(つばめさる)

渡り鳥の生態などが知られていなかった頃。春の雷が鳴り始める頃突如として現れる燕が、仲秋の今頃群れをなして一気に消え失せてしまうことをいにしえの人々が不思議に思ったのは、当然のことだと思います。冬の間、燕はどこで過ごしているのか…。今でこそ、燕は南の東南アジアの国々に渡って越冬していることを知っていますが、民話と伝承の世界の本をめくっていたところ、日本に限らず北欧や中国など世界の国々では、燕は冬の間...

花留め 十文字③

十文字という花留め方法の向き不向きですが、十文字は一文字と同じように斜めに立掛けて入れる花留め方法ですので立花のように、まっすぐ突き立てるように入れたい際には向きません。実際、十文字のばってんの後ろに入れて草花を斜めに立掛けて入れる際斜度を変えることでどんな変化があるか、以下の写真の葉っぱの角度に注目してみて下さい。茎の角度を倒せば倒すほど葉の面がしっかりと見えるのがわかると思います。これらは、「...

花留め 十文字②

なげいれの手法で花を入れる際、花が思い通りに留まらなくて困ることは実は、とても多いと思います。思うところに留まらないが故に留めることに必死になって大切なことが二の次になってしまうこともしばしばです。力づくで剣山やオアシスに刺して固定しないのですからそれも道理です。上手く留まらない理由は上げればきりがないので書ききれませんが、たとえば十文字を例に考えてみると、4つに区切られたその開口部が実は入れよう...

白露 次候:鶺鴒鳴(せきれいなく)

子供の頃ピアノを習っていた人は「ブルグミュラー」という名前に懐かしさを感じられる方も多いのではないでしょうか。「ブルグミュラー25の練習曲」では1曲1曲に題名がついています。今でこそ曲名がついていることが当たり前の時代ですが、練習曲の作られた時代は曲番号で呼ばれることが殆どでした。それゆえ、運指の練習がほとんどだった初心者の私達にとって、ブルグミュラーの練習曲の多くが曲名通りのドラマチックな音楽性や...